バーンズ交響曲第3番

某所に書く予定で考えていたのですが、明らかに長すぎたので(そして長いことに意味があるだろうとも思ったので)自分でボツにしたものです。

基本情報

原題:Third Symphony, Op. 89 (1994)
邦題:交響曲第3番(第三交響曲
作曲:ジェイムズ・バーンズ James Barnes (b. 1949- アメリカ)
時間:40分程度
難度:6(とても難しい)
出版社:Keiser Southern Music

 

名曲である。プロ・アマチュア問わずかなりの演奏頻度が確保され、広く聴かれている作品であり、特に日本での人気はかなりのもので、調べられた限りでは12種の全曲録音が市販され(市音×2、シエナ、陸中音、海上自衛隊東京音楽隊、東京藝大WO、なにわ《オーケストラル》ウィンズ、土気シビックWO、倉敷市吹奏楽団グリーンハーモニー、吹奏楽団Festa、神奈川大、近畿大。海外で見つけられた3種と比べると驚異的だ。世界的にもバーンズの交響曲のなかでは飛び抜けて演奏されているというのに)、管弦楽分野の有名交響曲でされているような、聴き比べをする楽しみも可能にしている。
技術的・編成的には決して気軽に取り上げられるわけではないものの、重厚かつ明快なドラマに貫かれた作品であり、苦労した見返りが大きく、そして確実に得られることが人気の一因だろう。これだけ知られている作品であれば、一通りのことはすでに言われている。Wikipedia日本語版をはじめとしてネット上の日本語情報も充実している。ゆえにここでは、この作品*以外*のことを話そうと思う。それでこそ、この作品についてなにを言えるかも見えてくるのではないか。

 

第1楽章 Lento

重苦しい情緒に貫かれた楽章で、全曲のドラマの起点になる。遅いテンポを基調に、展開部でテンポを上げるソナタ形式楽章であること、長大なソロを最小限の伴奏で支える書法の多用、カノン風の書法の多用、後述するが主題の造形や調性関係の類似と、ショスタコーヴィチ交響曲第5番(以下 "DSch5")第1楽章がモデルの一つになったと考えていいだろう。
スコア解説はこの楽章の主調を「ハ短調」としているが、ハ短調の三和音[C/Es/G]が鳴る瞬間はほとんどなく、実際はCを主音とする八音音階[C-Des-Es-E-Fis-G-A-B]("MTL II"。リスト、ドビュッシーバルトークストラヴィンスキーなどの用例が有名だが、部分的にはバロック音楽の時代から出現している)が楽章のほぼ全てを支配しており、限られた音選択がモノクロームな閉塞感を演出している。

冒頭でティンパニが演奏する「タ・タ・タタ|ター」(四分・四分・八分八分|四分)の動機は第1楽章全体やフィナーレでも活用され、作曲者を襲った運命を象徴する動機と考えられる。この動機の下敷きはベートーヴェンの第5番冒頭の衝撃的な開始における「運命」リズム、「タタタ|ター」だろう。(メンデスルゾーン「葬送行進曲」Op.62-3、)ブラームス第1番第1楽章、マーラー第5番、ショスタコーヴィチ第7番第4楽章、吉松隆第5番などにも時代を超えて受け継がれ、同じく象徴的な役割で登場している。性格が違う例として、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲冒頭(バーンズと同じティンパニソロだが弱音で、その次にはニ長調の和音が鳴る)も挙げておこう。
一方でベートーヴェンの動機から一音減らした「タタ|ター」(アナパイストス)を用いたのがDSch5で、冒頭のカノンが収まった直後に提示されるこの動機は楽章を通して使われつづけ、第4楽章のクライマックスでも登場する。これにシンコペーションが加われば、チャイコフスキー第6番第1楽章展開部、R.シュトラウス死と変容』、マーラー第9番第1楽章などに現れる「不整脈」のリズムにもなる。
しかしベートーヴェンから一音増やした(頭の休符に音を入れた)「タタタタ|ター」の使用は、ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲第12番や別宮貞雄第5番という例はあるがあまり多くない。ベートーヴェン動機の3音目を2つに分割したバーンズの「運命」動機はショスタコーヴィチの逆を行った選択であるとともに、この間隙を埋めるものと見てよさそうだ。

主音Cによる2度の「運命」動機のあとすぐ、チューバ独奏が第一主題を奏しはじめる。短九度(オクターヴと半音)の跳躍+順次下降[C-Des-C-B]で始まるこの主題は、DSch5冒頭で低弦が演奏する短六度(完全五度と半音)跳躍+二度下降[D-B-A]による主題を音程、音価、音数すべて拡大したものに等しい。リズムの鋭さやダイナミクスの差はあるが、跳躍の音価が短く、順次進行が長いというのも共通点だ。音色面では、バーンズ同様に家庭内の苦悩が背景にあるクック補筆版マーラー第10番の第5楽章(70年代には録音が出回っている)における、葬列を象徴するミュートした大太鼓を背景にしたチューバソロが類例と言える。
チューバとティンパニのみのテクスチュアがひとしきり続き、カデンツとしての役割を果たしこの後も印象的に使われる[Des-B-G-Des-C]音型(単純化すれば [Des-C] の短二度下降)でC音に決着。イングリッシュホルンが[Des-Es-E-Dis-G]と始まる第二主題を演奏する。第一主題が大まかに見て下降を指向するのに対し、こちらは粘り強く上向していく旋律型だが、交響曲第2番の第1楽章が厳粛な楽想とスケルツァンドな楽想をはっきりと対比していたのに対して、こちらでは二主題の性格的な対比はほとんどない(秋山紀夫の解説では一つの流れとしてまとめ、アレグロ部からを「主部」としている)。また前述のとおり調性的な対比も小さい。ただし楽章の主音のC音を低音が繰り返すのにかぶせてこの旋律は半音上のDesから始まり、DSch5でも重要になる主音/主調と半音上の対立(第1楽章第二主題が主調の半音上の変ホ短調から始まり、展開部中盤の金管の下降音型によるクライマックスや楽章ラストでは低音のニとメロディの変ホ調が同時に鳴る、など)を思わせる。

ここまで続いてきたC音の保持がチャイム・ハープ・チェレスタの高音域に移り、バスーンが再びC音から第一主題冒頭を繰りかえす。それを引きついでクラリネット群が第二主題の変型[G-As-G-B]で入ってきて、すぐにほかの楽器も加わって大規模なユニゾンによるクライマックスに発展していく。前述のとおり音選びはほとんど八音音階から外れないが、[C/Es/Fis/A][G/B/Des/E]の二つのグループを併存させて疑似的に転調を繰り返し、第一主題の下降に第二主題の上向があらがう「展開」的な部分となる。クライマックスを締めくくるのはハ(短)調の不協和音とトランペット族の [Des-C] 音型で、続いてフルート独奏に改めてG音から第二主題が現れる(C音持続が外れて伴奏は嬰ハ短調風)。

ここまでの流れを整理すると第一主題(C音から開始)→第二主題(Desから)→第一主題中心の展開(Cから)→第二主題(Gから)で、古典的なソナタ形式における提示部の繰り返しを書き下したものに近い。主題の自立性や調性の扱いの自由さが増した時代のマーラー第3番や第9番の第1楽章などにも、提示部の変奏的な繰り返しは見られる。

[Des-B-G-Des-C]の変型であるフルートの[Fes-B-Des-G-Des]に続いてC音の運命動機が爆発し、展開部が始まる。弱音のソロから展開部がいきなり最強音で始まるのは、提示部で一度音響的なクライマックスが訪れることも含め、DSch5第1楽章(やラフマニノフピアノ協奏曲第2番交響曲第2番第1楽章)よりもむしろそのさらに下敷きであるチャイコフスキー第6番第1楽章に近い。展開部序盤で不定形にうごめくような背景を作る中高音木管はリード『エルサレム讃歌』冒頭やデ・メイ『指輪物語』冒頭などが類例で、「シンフォニック」で立体的なサウンド吹奏楽で作るときの基本手段の一つ。原型はワーグナーヴァルキューレ』の「ヴァルキューレの騎行」や「魔の炎の音楽」などに現れる、揃いきらないことが理想的な効果を生む弦楽器のパッセージだろう。

展開部は運命動機を背景につきまとわせながら、ハイテンションを保ったまま進む。序盤は第一主題があまり変形せずに登場するものの、第二主題によるAllegro Ritomicoの鋭角的な音楽(『祈りとトッカータ』『ペーガン・ダンス』などを思い出すバルトーク調の変拍子マーラーバルトークを影響元に挙げる高昌帥にも通じる)を挟み、短九度上昇、短二度下降、第二主題由来の[C-C-B-Es]や[A-A-B-Es]など断片化や変形が激しくなっていく。ベートーヴェン第3番第1楽章、「田園」ソナタ第15番第1楽章などに代表される展開部の常套手段である。第一主題によるカノンから、大ユニゾン+合いの手による破局、そして低音での運命動機の最強奏と重なる第一主題、という流れ(途中に一波乱を挟むものの)はDSch5第1楽章の展開部とパラレルだ。

第一主題によるクライマックスが去ると、今度は運命動機によるC音に乗って、アルトフルートが改めて第二主題をDesから始める。DSch5第1楽章のラスト近く、E音持続の上でフルートが奏する第一主題反行形[E-F-G-As-G-B]と効果はかなり近い。DSch5の場合は第二主題再現で柔らかいニ長調カタルシスに到達したあとの薄暗いコーダだが、バーンズは調性上の・音楽の性格上の解決を与えず、あくまで鬱々とした表情を崩さずこのままコーダに入っていく。解体された第1楽章断片のあと、ラストでハープ・グロッケン・ビブラフォン・フルートに現れる第二主題動機[Des-Es-Fes-G]は、DSch5第1楽章や同じく第4番ラストを締めくくるチェレスタを連想するところだ。


第2楽章 Scherzo. Allegro moderato

皮肉な表情のスケルツォ。4楽章制の作品で舞曲楽章を第2楽章に置くのはハイドンなどにも例があるが、影響力が大きかったのはやはり、緩徐楽章とフィナーレの重厚化の帰結としてのベートーヴェン第9番や「ハンマークラヴィーア」ソナタだろう。メンデルスゾーン第3番、シューマン第2番、ブルックナー第8番、第9番などがそれに倣い、20世紀に入ってもウォルトン第1番やショスタコーヴィチ第1番、第7番、第10番などに引きつがれる。
Dsch5も第2楽章がスケルツォだがマーラーレントラーの匂いを漂わせる音楽であり、この楽章の造形の元になったのはバルトーク管弦楽のための協奏曲』第2楽章と考えられる。バルトークの場合は同じ楽器2本によるアンサンブルが基調になり、主部の再現では「2×2」や「2+1」になるが、バーンズの場合は3本や1本が基調になって、再現時にはやはりそれが組み合わされる。両端が木管中心、中間部が金管中心という設計も共通。この交響曲でのバルトークとの類似は比較的限られているが、12年ほど前に書かれた第2番では各所に意識が見られた。

なお、冒頭主題の提示は(管楽器のみで演奏される)ヴォーン=ウィリアムズ第8番第2楽章のイメージがおそらく背景にあり、最初のバスーン族3本を密集させる響き(開始はC-Cis/Des)は、ラヴェル『ダフニスとクロエ』の「ドルコンのグロテスクな踊り」やホルスト『惑星』の「天王星」などが源流だろう。低音楽器のペーソスを持ったソロはパーシケッティ『ディヴェルティメント』の「ブルレスク」なども一応の類例と言える。この楽章、とくに中間部では、パーシケッティやW.シューマン、メニンなど50年代ごろのアメリ吹奏楽を支えた新古典的な作曲家たちと共通する響きも聴かれる。

暗い諧謔を含んだ行進曲調の音楽はプロコフィエフ『3つのオレンジへの恋』の行進曲やOp.12-1、DSch5第1楽章、同じく第7番第1楽章などを思い起こさせるが、スケルツォ楽章ということではプロコフィエフショスタコーヴィチの影響がよく指摘されるジェイガーの交響曲第1番も挙げておきたい。中盤に現れる打楽器のみによる部分はこの作品や、リード交響曲第3番フィナーレを思わせる。


第3楽章 For Natalie. Mesto

美しい旋律を歌い上げる緩徐楽章。チャイコフスキー第5番(ホルンソロ、三度順次上昇や二度下降など印象的な音型の共通、三連符と二連符系の交錯)やサン=サーンス第3番(調性、二声のみの楽節)など数々の緩徐楽章が思い出されるところだが、位置付けとして近いのはマーラー交響曲、第3番第6楽章、第4番第3楽章、第9番第4楽章などだろう。俗世の葛藤から離れた、この世ならぬ音楽としてのアダージョ。スコア解説では「ABCABC」と説明されている(実際にははっきりと性格の違う「B」部分がメインであり、長い前奏と後奏が付いていると見たほうが据わりがいいが)形式も、ブロック的に並列したセクションを順に変奏していく、マーラーの緩徐楽章に典型的な流儀に近い。第1楽章にも登場したソロ・ソリに長丁場を任せる書法はショスタコーヴィチと共通し、その背後を辿ればマーラー(第3番第3楽章、大地の歌第6楽章など)の影響が指摘されている。

前2楽章とは対照的に高音域の響きから始まり、Dsch5第3楽章と共通するハープの音型に乗ってオーボエのソロが現れる。この旋律の核となる[G-F-Es]の三度順次下降は第1楽章第一主題の反映と考えることも可能だろう。楽章間で主題に共通点を持たせるいわゆる循環形式には、ベルリオーズ幻想交響曲』、チャイコフスキー第5番、ドヴォルザーク第9番、アッペルモント『ギルガメシュ』のように一定の長さの主題を変奏する場合と、ベートーヴェン第5番、ブラームス第2番、チャイコフスキー第6番、アーネスト・ウィリアムズの交響曲のように断片的な動機を潜ませる場合とがあるが、この作品を循環形式と見るならば後者に属する。

この後の旋律と同様に三度音程と四度音程が多用されるイングリッシュホルンとチェロ(バリトンサックス)のカデンツァのあと、変ニ長調に落ち着いて(第二楽章のヘ短調和音のCがDesに置き換わる!)、ホルンソロに始まる「B」部分。美しい旋律が二度繰りかえされるが、四小節単位で「A, B, A ,C」と整理できる旋律の構成、ピアノを思わせる規則的なアルペジオではっきり分離された伴奏と、とても明快な作りの音楽である。その代わり、オーケストレーションの変化や、表情豊かに動くオブリガードが後半での盛り上げに寄与する。
その後短調に移って二声だけのソリになる「C」部分は、前述のとおりサン=サーンス第3番の第1楽章後半に近しいが、Dsch5第1楽章後半(第二主題再現直後)にも音型的に類似する箇所がある。その後は前半の音楽を変形しながら繰りかえす。「A」部分は短縮され、「B」部分は大きなクライマックスを築き、それを鎮めるために少し引き伸ばされた移行部を経て、「C」の変ロ短調のまま(R.シュトラウスアルプス交響曲』を思い出す低音の密集和音で ) 楽章が締めくくられる。

「B」部分のクライマックスでは、クラリネットとサックスがアルペジオを演奏して和音の響きの立体感を増す役に回り(イメージはR.シュトラウスなどの使う、弦四本を行き来する幅の広いアルペジオだろう)、朗々と歌い上げる主旋律・対旋律はそれ以外の楽器に託されているが、フルート族・オーボエ族・ホルンのグループにはグロッケンシュピールヴィブラフォンとともに「Strings」と指示されたシンセサイザーが重ねられる。
なお、スコア上ではシンセサイザーが使われるのはこの場面だけではない。編成表では鍵盤楽器は「PIANO/CELESTA/SYNTHESIZER」と書かれているが、シンセサイザーチェレスタの音色に設定してアコースティックピアノと併用するように書かれており、実際委嘱団体であるアメリカ空軍軍楽隊の録音では、チェレスタが登場する箇所で残響の長い合成音らしい音色が聴こえる。こうしてシンセサイザーに複数の音色を割り当てて活用する手法は、この作品を含むバーンズの90年代の作品いくつかに見られるものだ。例えば前年に陸軍バンドのために書かれた『ロンリー・ビーチ』では、波の音のエフェクトやオルガンの音色のほか、ハープの補強の役割が与えられ、いっぽう高校のバンドのために書かれた「モラヴィアの賛歌による変奏曲」では、バンドにオルガン・ハープ・チェレスタやストリングスの音色を加えるほかに、金管合奏や木管合奏の補強のためにも用いられており、しかもシンセサイザーが使えない場合はテクスチュアが欠けないことを優先し、ピアノでの代奏も可としている(「大きすぎないように」との指示もある)。
この場面のシンセサイザーは、どうしても弦楽が入ったサウンドが必要だったというよりも、むしろ充実した伴奏に旋律が埋もれないための、補強としての用法と考えられるかもしれない。全曲の一つのクライマックスに向けて編成の中で「余って」いたシンセサイザーも参加させ、高音域で長音を演奏させるにあたって、ほかの楽器の邪魔をすることなく、かつアコースティックな世界を離れない音色の選択として弦楽器が選ばれたのではないだろうか。


第4楽章 Finale. Allegro giocoso

前進する力に満ちたフィナーレ。交響曲第2番の英雄的なフィナーレ――劇場版『スタートレック』のテーマや自作『イーグルクレスト』([F-B-Es-F]を枠に上昇する旋律)、映画『スーパーマン』のテーマ(6/8拍子系のリズム)を思わせる――をひな形としてふたたび取り上げたような楽章で、第2番の第1楽章に含まれる厳粛な楽想とスケルツァンドな楽想の並置が今回第1・第2楽章に振り分けられたのと同様、あちらのフィナーレにあった経過部の多調的な和声や、拍子を変えたフーガ、バルトーク管弦楽のための協奏曲』フィナーレ風の展開などは取り除かれ、ほぼ定型通りのソナタ形式の楽章としてより古典的なまとまりを持っている。20年ほど後に作曲した第九交響曲の解説においてバーンズは、「交響曲はただ規模の大きい、長い音楽作品ではない。交響曲とは形式なのだ。(…)作品のうち最低でも一つの楽章はなんらかのソナタ形式でなければならない」ときわめて伝統的な交響曲観を披露しているが、歴史的に終楽章とソナタ形式との結びつきは多少ゆるく、バーンズも終楽章においてここまで正統的なソナタ形式を採用するのは珍しい。

冒頭のホルンのファンファーレ、そして第一主題は第1楽章第一主題の短九度跳躍をオクターヴ跳躍に整形したものと考えられるだろう。6/8拍子を3分割するリズムは第1楽章の「運命」動機の変形とみなせる。短三度転調(バーンスタイン「トゥナイト」やスウェアリンジェン『インヴィクタ』が類例だが、ここでは輝かしい音色変化とセットになっている)を経て、トゥッティでの確保(対提示)はソナタ形式の古典的な流れ。序奏の楽想が呼びもどされたのに重なって運命動機が現れ、それに導かれるように第二主題が現れる。第一主題のハ長調に対し王道のト長調で、第一主題とともに四度音程が軸になっている点で第3楽章中心主題と結びついているとも考えられる。

木管群を中心に引用されるコラール「神の子羊」は、バーンズはルーテル教会で歌われている歌として出会ったというが、もとはプロテスタントの一宗派、モラヴィア兄弟団のなかで18世紀に生み出された曲がアメリカに伝わったもの。音楽活動が盛んだったモラヴィア兄弟団はハルモニームジーク Harmoniemusik と呼ばれる木管アンサンブルをアメリカに持ち込んでいたという(偶然の)符合もある。
ヘンリエッテ・ルイーゼ・フォン・ハイン (Henriette Luise von Hayn) による原詩は "Weil ich Jesu Schäflein bin" といい、神の子羊を紋章に掲げるこの宗派の教えとも関わる。旋律付けは複数存在するが、これは同じくモラヴィア兄弟団の関係者であるクリスティアン・グレゴール(Christian Gregor)が1784年に最初に記録したもので、スコア解説で引用されている英訳詞はアイルランド生まれのウィリアム・スティーヴンソン (William Fleming Stevenson) のもの。同様の有名コラール、たとえば「神はわがやぐら」や「暁の星はいと麗しかな」などと違い、ルター派カトリックの一般に有名な作曲家の引用例があまり見当たらないのは、こうした出自のためだろう。

展開部は第一主題を軸に序奏の付点リズムを絡め次第に盛り上がった(金管がカノン状に堆積して塊になる展開はバルトーク管弦楽のための協奏曲第1楽章が発想源だろうか)あと、運命動機が現れ、第二主題を変形させた断片をちりばめた静かな部分に入る。展開部の後半で動きの少ない「凪」が訪れるのはブラームス第1番、第3番や、メンデルスゾーン『夏の夜の夢』序曲などに例があるが、特に高音のオクターヴで保持される持続音と、四度を含む旋律線という作りの点でブラームス第2番第4楽章や『悲劇的序曲』がより近い。さらに連想ゲームを続けるなら、この部分の終盤でチューバを始めとする低音に、主題の音型を変更してまで[E-H-C-G]という下降四度の連続が現れる。前述のブラームス第2番のほかに、例えばワーグナーパルジファル』の「鐘の動機」、フランク『前奏曲、コラールとフーガ』、マーラー第1番などでも印象的に使われている音型だ。

これを機に第一主題の動機が絡んで音楽は活力を取り戻しはじめ、運命動機を露払いに再現部に突入する。第一主題部はほぼ提示部をなぞり、しかし華やかさを増した音色で進み、今回はクレッシェンドして、型通りのハ長調による第二主題が全曲の到達点にあたるクライマックスを形作る。金管楽器によるコラールと、木管楽器の細かい動きを対位法的に並置する書法は特殊なものではない(バーンズ自身も『アルヴァマー序曲』『アパラチアン序曲』で使っている)が、ブリテン青少年のための管弦楽入門』のラストがモデルとして推定できるだろう。チェザリーニ『ソレンニタス』やスパーク『二つの流れのはざまに』『天と地が動くとき』などがより直接的に展開を参照しているほか、バーンズは『パガニーニの主題による幻想変奏曲』で、楽器紹介的な性格の変奏曲という発想を借りている。さらに遡れば、ブリテンとは晩年に作品を献呈しあう盟友同士だったショスタコーヴィチの第1番第2楽章、レーガーの『モーツァルトの主題による変奏曲とフーガ』、マーラーブルックナーメンデルスゾーンの各第5番フィナーレ、ベートーヴェン第9番フィナーレのクライマックスと伝統をたどっていくこともできる。

クライマックスを抜けた先、運命動機が降り注ぐなかでふたたびDSch5の影が戻ってくる。一つの音を繰り返し続ける高音楽器、A-D-E-Fis ならぬ [A-C-D-E]と上昇する金管楽器、主音と属音を繰り返すティンパニの合いの手(ここではホルン・フリューゲルホルンの第一主題も重なっているが)、という構成要素はDSch5フィナーレのコーダとかなり近いところにある。この曲の内部に関連を探すなら、第1楽章第一主題(≒フィナーレ第一主題)やフィナーレ第二主題に含まれた順次下行の反行形、あるいは第1楽章ラストの順次上行する三音が由来だろうか。
DSch5のコーダの場合は二長調和音に対して「半音上」のBが激烈な衝突を生むが、バーンズの場合はハ長調のテクスチュアのなかで同じく短六度音のAsが響き、さらにこのセクション最後では変ニ長調和音が鳴るとともに低音が(簡略化すると)[Es-Des-C-B-As-Ges-Des]と進行する。CとDesの衝突がCに解決する瞬間は、DSch5ラストにおけるD音上のB→Aの解決が第1楽章の冒頭を繰り返しているように、この交響曲においても全曲の冒頭、チューバソロから張られていた伏線が回収されるときにほかならない。